• Hisano Bell

中米のパラダイスを求めて(最初のコスタリカ訪問)

コスタリカに最初に来たのは1996年冬でした。その当時。コスタリカは今と違い、殆どその存在すら知られていない中米の国でした。「定年退職するなら、コスタリカでしたいですね。とても平和で、天国みたいな国ですよ。

コスタリカの海岸線の夕日

海も山もあるし、本当にのんびりしているから。」と当時の日本のお客様が言ってたのを思い出したのです。当時、私たち家族は米国に住んでおり、何回か行ったメキシコのリゾート休暇にも飽きてきていたので、「じゃ、コスタリカを探検してみよう!」と家族4人でクリスマス時に来たのです。


首都サンホセに数日滞在し、その後はレンタカーで海

ツーカン鳥

岸線を南下して回るという計画。米国や日本、そして海外のリゾート環境に慣れていた私達にはちょっとびっくりの首都サンホセでのホテルの質でした。この一流ホテルの部屋は狭いし、綺麗じゃないし。。。買い物に行っても買いたくなるような質のものはなく、街ではインディアンの血筋を引いているであろう人達が路上で物を売っており、ショートパンツとTシャツ(当時、そういう格好で街にでるのは外国人のみだったようです。)で街を歩いていた私と娘に「ヒュー」と声がかかり、それにびっくりして怖がった娘。それが、15年前のサンホセでの第一印象でした。


お客様の言っていた天国はどこにあるのだろう?レンタカーを借りて海岸に行けばきっと見

つかるかも。ということで、借りたのが、ヒュンダイのセダン。その当時はヒュンダイ(韓国製現代)いう車があることすら知らない私でした。国道高速道路と言えども、時速10キロ

から25キロ位で走るのが精一杯。何せ、どの道路も穴だらけで酷いのは1メートル以上の大きな穴なのです。だから、車線があっても無いようなものです。路上の穴を回避して運転するので、私の運転能力はダントツに向上しました。道中、国立公園で有名なマヌエル・アントニオ海岸(Manuel Antonio)、ケポス海岸(Quepos)、ゴルフィート市(Golfito)などのホテルに泊まり、一晩$100から$150のホテル代金を払いました。1996年末の話です。家族4人が寝られるのならと。。。でも、その質やサービス精神の無さには驚きました。

さらに驚いたのが、ケポス海岸のドイツ人が経営していた結構高めの綺麗なホテルに泊まり、チェックアウトする日に娘とテニスをしていたら、当時とても好奇心の旺盛な二歳半の息子がテニスコートの地面を何やらいじくりまわしていました。「ギャッー」との悲鳴で、びっくりして息子のところに駆けつけると、彼の手のひらが真っ赤に焼けどをしているのです。近くを見ると、むき出しの配線がありました。動揺してる間もなく、オフィスに駆けつけ、その説明をすると、フロントにいた係りの人間は、「ああ、そうですか。」と言うだけ。「ああ、そうですかじゃないでしょう?この息子の火傷をみてよ。何か薬はないの?」「ああ、薬。ふーむ。」「上司を呼んでちょうだい!」上司が来ても、消毒用のクリームを持ってきただけで、「すみません」とか「申し訳ございません」とかの言葉はまったく無かったことです。米国だったら裁判沙汰の出来事ですよね。米国人にこの話をすると、Why didn’t you sue them?という返事が返ってきます。

また、これら海岸線に点在する小さな村では、殆どの家に電話がなく、村に一ヶ所電話があれば良い方だと聞き、これまたびっくりです。当時私は、電話、ファックス、コンピュータ、そして電子メイルなどを使っていたので、電話がない生活など考えられなかったのです。「えっ!これが、天国の実情なの!とんでもない。こんな環境じゃ私達は生活できないよ!」ということで、1996年末の天国を求めての旅は失望のうちに終了。それ以降、コスタリカの話は長い間でてきませんでした。それなのに、なぜ、戻ったの?今後のブロクをお楽しみに!

2012年7月18日に「喜々姫コスタリカ冒険記」に投稿したものの改定版です。


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